初めての稽古場③
「あの、ホームページでご連絡した木田と申します。」
私がそう伝えると夏目先生は(この時はどういう立場の何者か分かっていなかった)ニッコリと微笑み、とても気さくな雰囲気で
「ああ、どうぞ、座ってください。」
と勧めた。促されるままにソファへ座り、愛想笑いを浮かべていた私に
「どうして演劇を始めようと思ったの?」と嬉しそうにお聴きになったことを覚えている。
そうだった、あの時先生は確かに嬉しそうだった。
後で分かるが決して稽古場で愛想笑いなどしない先生があの時は初対面のクソガキをとても嬉しそうに出迎えて下さっていた。
その気持ち、今となれば分かる。
劇団というのは人間が集まっては消えていく場所、何と言えばいいのか、
凝縮された偽物の限られた短い時間を共に生き、まるで夢を見ている時と同じ、朝起きれば何もなかったかのように消え去っていく場所。
だから人が集まり、魂を燃やす熱量が無くては空間が成り立たない。
劇団の代表は人が集まる事が、新たな活力になるのだと思う。
もちろん、去られる時は空っぽになって遠くを見てしまうのだが。これから演劇の世界に触れようとしてるあなた、どうか臆さずに扉を開けてみて欲しい。きっと歓迎されるにちがい無い。
ここからが、今思い出しても顔から火が出そうな、恥ずかしい記憶。
でもこの記事は自身の回帰を通じて、これから演劇を始めようという方の参考になる為に書き始めたのだから、しっかり向き合うことにする。
「どうして演劇を始めようと思ったの?」
との問に私は「生きていると言うのは演技をすることだと思うんです。
自分は人によって態度を変えていると思います。
人間はいつも誰かを演じながら生きてるのだから、お芝居をやってみたいと思いました。」
と自信満々に答えてしまった。
やってしまった。駄目だ、恥ずかしすぎる、理由がわからない。芝居を舐めすぎだ。無知というのは罪だ。
よくもまぁわかりもしないのに劇団の代表、演出家に対して偉そうに言えたものだ。
確かにその時は本当にそう思っていたと思う。
普段も芝居をしていると。違う。普段は芝居にならない。(少なくとも舞台芝居は)普段を舞台の板の上にあげるまでに昇華させるためには大変な努力と理論とセンスが必要だ。
ところが夏目先生はこんな、生意気な意味不明な発言も嬉しそうに「そうやね」と快く聞いてくださっていた。
兎にも角にもこうして、私は老舗劇団「劇団神戸」の敷居をまたぎ演劇の世界へ身を投じたのである。
この記事でお伝えしたかった事。何故演劇を始めたのか、何故この演目を選んだのか、何故生きているのか。
理由なんてなくていい。決してその衝動を見失ってはいけない。
どこで生きていても、誰もわかってくれなくても、自分の生きる場所を探して是非演劇の世界に足を踏み入れて欲しい。
勘違いから始めていいじゃない。自分を愛して演劇会に飛び込んで来てほしいと切に願う。
次回からは、飛び込んだ演劇の世界について更に詳しく書いていこうと思う。